脳死臓器移植を問い直す市民講座

6月16日(土)
今日は、アシュリー事件を追う児玉真美さんから話を伺った。
人間の命を新産業に組み込み、国際的な臓器の売買マーケットを造り出した資本を糾弾したいものである。
財界が、人間の生命や医療制度に介入できる構造は、政治の機能不全と体たらくを意味している。
私、内田ひろきが16歳の時から取り組んでいる反脳死、反臓器移植、反尊厳死の闘いは決戦の局面に立っている。
2010年4月には、出生前診断に反対する闘いを続け、電動車イスで生活している見形信子さんと会談をもった。
また、2009年の脳死臓器移植法改悪を巡る闘いには実力で決起した。
「障害」児を産ませないようにする政策とあいまって、命の選別をする出生前診断は、「障害」者抹殺攻撃の入口なのだ。
そして今、出口の弾圧が強まっている。
これが脳死臓器移植法なのである。
脳死臓器移植は格差、貧困、差別とした社会構造の上に成り立つ。
政府は、医療費削減の観点から脳死の定義を曖昧にし、臓器移植の規制緩和を企んでいるのだろう。
臓器は、売り物でも買い物でもない。
命の重さは、みな平等なはずだ。
今、アメリカ資本では安楽死、尊厳死を美徳化し、マスコミと政府に造られたこの世論を武器に、臓器提供者を増やそうとしている。
この流れが、日本にもはびこり始めた。
国民健康保険条例を改正し、ドナーカードを保険証と共に交付する自治体が増加の一途を辿っている。
また、保険証の裏面に臓器移植の意思を表明する記載欄が設けられてしまった。
不当にも柏市は、このシステムに参加している。
私、内田ひろきは脳死を人の死とする世論形成を粉砕し、脳死臓器移植法と今にも、国会で審議に入ろうとしている尊厳死法案を断じて打倒する決意である。
一昨日、6歳未満の子どもから臓器が奪われた。
ドクドクと鼓動している心臓を見ながら臓器をメスで切除する医師は、どんな気持ちで摘出に当たったのだろうか。
子どもの臓器移植は、偽善を梃子とした国家権力による最大の児童虐待なのである。


児玉真美さんと内田ひろき

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