知っていますか?盗まれた遺骨の返還を求めているアイヌ民族のこと

9月9日(金)
私、内田ひろきが所属するピリカ東葛の会が主催し、アイヌ民族の現状を知ろうをテーマに学習会を開催した。
私、内田ひろきの後援会である柏の自治力を活かす会の仲間も多数が参加した。
アイヌ民族は、自分たちの住んでいる場所を「アイヌモシリ」(人間が住む大地)と呼んでいた。
江戸時代までは、函館付近の南部を除く北海道はアイヌ民族の暮らす土地であり、樺太(サハリン)や千島列島にもアイヌ民族(他の北方諸民族も)が暮らしていた。
アイヌ民族は、寒冷地にあった狩猟採集を中心とした自然を大切にした生活を行い、サハリンや大陸の諸民族や南の日本人とも交易し、平和で豊かな生活を送っていた。
ところが、江戸時代の松前藩による「蝦夷地」支配によって、アイヌの人々への不当な搾取や奴隷労働が行われ、苦難の歴史が始まった。
徳川幕府を倒した「明治」政府は、アイヌ民族が「アイヌモシリ」と呼んでいた大地を「北海道」と命名して、天皇の土地とした。その後、「本州」からの開拓者(和人)には、肥沃な土地を開拓地として与えた。
ところが、アイヌモシリで自然を大切に守り、先祖代々平和に暮らしてきた先住民族のアイヌの人々には、サケや鹿を捕る事など生きるための当然の権利を奪った。
その後、日本への「同化政策」として、アイヌ語の禁止・習慣風習の禁止・日本風な名前による戸籍の押しつけなど、民族の言葉・文化を奪い、「旧土人」として差別し続けた。
そのための法律だった「北海道旧土人保護法」は、1997年まで存続した。
2007年には「先住民族の権利に対する国連宣言」が日本政府も賛成して採択されている。
その宣言には、「先住民族の土地、領域及び資源」に対する権利承認や「固有の文化及び言語で行われる教育」を受ける権利がある事が明記されている。
人類学者等が「明治」以降、アイヌの墓地から盗掘した遺骨が、東大や北大・京大・阪大などに保管され続けてきた。
アイヌ民族は、永年、返還を求めてきた。
近年、裁判を起こす事で、その一部がやっと地元に返還されたのである。

カテゴリー: 活動記録   パーマリンク

コメントは受け付けていません。