7月20日(火)
7月17日から4日間の日程で私、内田ひろきが所属する「視覚障害」者問題を考える会であるグループ・飛躍の夏合宿に参加した。
飛躍は、障害者自立支援法廃止の闘いや分離教育粉砕の闘いなど「障害」者解放闘争に軸足を置き、反戦・反差別を中心に取り組んでいる。
合宿の時は「障害」者問題に限らず、さまざまな社会問題に触れている。
今年の4月には柏北部開発反対運動を担う大室反対協議会の方と交流。
昨年8月は、山中湖で指定管理者に運営を委ねている図書館に働く労働者の現状を学んだ。
殆ど視覚「障害」者の長旅だが、いつも無事に帰宅する事ができる。
弱視の人に白杖を持った人が3,4人連なって歩く姿も社会啓発になっているのかも知れない。
2010年 グループ・飛躍 沖縄合宿しおり
期日: 7月17日(土)~20日(火)
・主な行程
★ 17日(土)
9:00 京浜急行羽田空港駅ホーム後方集合
10:25 羽田空港第1ターミナルより出発
13:00 那波空港着。モノレールかタクシーに乗車、
パスターミナルよりバスに乗車し、読谷村・知花さんの民宿へ(15:00ごろ到着の見込み)。荷物を置き、車で10分ほどのところにある「読谷ククルリゾート沖縄(様々な体験コーナーがある施設)」へ。
18:00 知花さんの民宿にて、知花さんや現地の方々との交流をしながらBBQ。
★ 18日(日)
9:00 マイクロバスにて出発(辺野古で活動されているキムさんが同乗)
10:00 瀬嵩(せたけ)に到着。朝市などを見たり、現地の方との交流
11:00 バスに乗車、その後、昼食
13:00 辺野古着、座り込みなどをされている方々との交流。
14:00 辺野古出発。
15:00 恩納村の海水浴場着
16:30 恩納村出発
18:00 那覇市国際通り・県庁前着
19:00 国際通り・海森で夕食
★ 19日(月)
9:30 ホテル発、タクシー、または公共交通機関を利用し、豊見城の海軍司令部跡へ。
12:00 豊見城の沖縄アウトレットモール内のレストランで昼食。その跡は、自由行動
▼ 名城ビーチで海水浴▼ 糸満市・琉球ガラス村
▼ 豊見城の沖縄アウトレット散策▼ 沖縄ワールド
(その後は、特に決めていないので、現地で話し合って予定を決めたいと思います。)
★ 20日(火)
9:00 ホテル出発、県庁前よりバス乗車
10:00 宜野湾市役所着。 市長面会。 基地対策課の方より説明を受ける。
11:00 宜野湾市役所発
12:00 那波市国際通り着 その後、昼食、買い物など
16:05 那波空港発
参加者の感想文から一部抜粋。
・2006年の時と同様いくらあっても時間が足らないほどでした。
17日羽田からの飛行機は満席で那覇着は少し遅れました。
そこからモノレールと路線バスを乗り継ぎ、読谷村到着は3時の予定だったのが4時になってしまいました。
やはり沖縄での移動をあまくみてしまったようでした。
知花昌一さんの民宿で、夜の飲み物などの買い物する方と散策をする方に分かれて夕方のBBQが始まる迄ゆったりと過ごしました。
4年前に知花さんには、シヌクガマとチビチリガマを案内していただきましたが今回は是非交流をさせていただきたいということでお時間を割いていただきました。
村議会議員をされている中でのお話や、知的障害を持つ娘さんへの思いなども聞かせていただくことができました。
最近読谷村議会で「従軍慰安婦」問題についての取り組みが行われていることが話題に上りました。
知花さんご自身が提起されたことがわかりました。
議員として問題に取り組む中でこれまで取り上げられなかった課題も議会の場で提起することによって市民運動だけでは、なかなか動かない問題も少しずつ動かして行く事ができる場合もあるのだと話されていました。
その後三線の演奏をご披露していただき、楽しいひとときとなりました。
18日、定刻の9時よりもやや早めに、マイクロバスで名護市へ出発しました。
現地では、辺野古を中心に活動されているキム・チミョンさんに案内していただきました。
最初に辺野古の少し北側にあたる大浦湾を挟んだ反対側のせたけに行きました。
二見以北10区の会と言うせたけを含む地域で中心になって活動されている渡具知さんからおはなしを伺いました。
毎週土曜日に、キャンプ・シュワプの前で 新基地建設に反対するキャンドルデモなどの行動をおこなっているとのことでした。
またその場に渡具知さんの3人のお子さんたちも来てはなしてくれたのですが、一緒になって集会などに参加したりしているとのことでした。
私たちに率直な思いを語り、作文を発表してくれました。
それから、大浦湾が見渡せる砂浜に出てキムさんから如何に大浦湾が、深さなどもあり軍港として使いやすい海なのかということを説明していただきました。
そこからは、沢山の野鳥が繁殖をしているという無人島や、ジュゴンが生息するための藻場などもあるという広い海が見渡せました。
そして軍港やヘリパッドが建設されてしまったら、それら全てが破壊されてしまうんだということがよく理解できました。
こんどは大浦湾の反対側にあたる辺野古に行きました。
まずは、島袋フミ子さんという辺野古に50年以上住んでおられる方に、戦争体験を聞かせていただきました。
当時は、南部の方におられ、視覚障害を持つお母さんと、幼い弟さんを助けながら、当時数えで15才だったフミ子さんが、戦火を潜り抜けてこられたとのことでした。
夜、死体が浮かぶ池から水を飲んでいたことを、明るくなってから知り、今おもいだしても吐き気がすると話されました。
死体が散乱する中を縫って、爆撃や艦砲射撃などから逃れ、ようやく生き延びて、捕虜として収容されたとのことでした。
今は、ご家族も他界され、ご自身は80才を超えられましたが、新たな基地を作らせてはならないという思いが、ご自身を生かしているのだという言葉が ずしりと重く心に残りました。
その後、座り込みを行っているテントに行きました。
いよいよ時間がなくなってきてしまい、概略を説明していただき、ほとんど質問をする時間もない状態で、カンパをさせていただいて、30分ほどで移動することになってしまったのが少し心残りでした。
20日は、那覇のホテルを後にして、マイクロバスで宜野湾市役所へ向かいました。
大変ご多忙な中、市長面会をさせていただきました。
30分の予定とうかがっていたのが、1時間近くもお時間を取っていただきました。
その後、市役所の屋上に上がり、基地対策課の方に説明をしていただきました。
私たちが帰るころに1機、飛行機が飛んできました。
たまたま見学をしにきた時間帯に飛行機が飛んでこないと、本来静かな時間が、少しでも長く続くことをねがわなければならないのにと話していた矢先でした。
軍事機密の一環ということなのでしょうが、今日は、飛行訓練がおこなわれるか、おこなわれないかなど情報は、一切もらえないとのことでした。
今後、新基地建設に向かって、様々な動きが出てくるものと思われます。
建設反対に取り組む方々と連携し、私たちも共に戦っていくために、その取り組みの第一歩となったと思います。
(38歳 女性 法人職員 Oさん)
・今年の飛躍の合宿は沖縄と聞いて私はうれしくなった。
だが、実際、行ってみると話を聞きに行くばっかりで正直つまらなかった。
でもその中でたった一つ私が提案した場所があった。「旧海軍司令部壕」だ。
ここは、当時、沖縄戦で使われていた海軍の壕で、司令部があった場所。
私はここへ行けば沖縄戦がよく学べるんじゃないか、と思い提案した。中は思ったより明るく、少し安心した。
私たちのような世代では「戦争」というのは完全に想像でしかない。
それでも壕の奥へ行けば行くほど戦争の辛さ、苦しみがひしひしと伝わってきた。
(ここで沢山の人がなくなったんだ。)私は思った。
なぜ大人は戦争をするんだろう。
なぜこの地球から戦争はなくならないんだろう。
考えても考えても答えは見つからないけれど、大人になればわかるんじゃないかな、と私は思った。
(13歳 女性 中学生 Tさん)
この沖縄合宿で何より学んだ事は、地方自治とその議会の重みだ。
この事を地元、柏にどう反映するかはまもなく、発行する内田ひろきニュースで述べて見たいと思う。
追伸
私、内田ひろきは視察や現地闘争などで遠方に出向いた時に、ご当地ソフトクリームが食べたくなる。
期待していたゴーヤソフトには、ありつけなかった。
しかし、焼き付ける暑さの中、公設市場で出くわした沖縄塩ソフトは絶品だった。