10月30日(水)
私たち抜きに私たちのことを決めるな!をスローガンに私、内田ひろきが所属する怒っているぞ!障害者きりすて!全国ネットワークが呼びかけ団体に加わり、骨格提言の完全実現を求める10・30大フォーラムを開催した。
日比谷野外音楽堂での集会後は厚生労働省前で、抗議のシュプレヒコールを上げた。
以下に集会アピールを抜粋。
支援を受けながら自立した生活をし、やりたいことができる。
これは、多くの人の夢ですが、障害をもつとその夢が叶えられないことが多いです。
またそれが叶った人の場合、足元を見ると、今いるところは細い綱の上であり、その綱から少しでも外すと,幸せが水のように一瞬でこぼれ落ち、今の生活ができなくなります。
いつ介助者がいなくなるか、いつ周りの状況で施設に行かされるか分からない。
まさに一瞬先は闇なのです。
この綱、社会福祉は本来、太くて多くの人が使えるはずなのにもかかわらず、近年細くて弱いものになっています。
普通にできて当然の自立した生活を、障害者は必死に獲得し維持しなければならない。
そんな社会、非常におかしいと思います。
本日の連帯アピールやリレートークで述べられたことは、そのことを言い表していました。
出生前診断は広がり続けており、「障害があるかもしれない」と判定されたひとの9割が中絶手術を受けています。
1970年代にあった「不幸な子どもの生まれない運動」や、それを擁護する発言が挙がっている事実をみると、国による出生前診断の推進は強く反対しなければなりません。
本人が必要と言っているのにもかかわらず、支援が受けられない、支援を切られることが各地で起きています。
介護保険優先問題をはじめ、生活に欠かせない介護の時間数を区市町村が認めてくれない。
法令上はオッケーなはずなのに、入院中は介助に制限がかかる。
1型糖尿病障害年金訴訟では、昏睡状態が多々起きるのにもかかわらず、何の基準もなしに一方的に年金を支給しない国の姿勢を問うています。
旧優生保護法のもとで強制不妊手術をされた人が、相次いで裁判を起こしています。
旧優生保護法は1996年に廃止されましたが、廃止以降も入所施設で不妊手術をさせられるなど、障害者が子どもを育てることへの有形無形の批判は今でもあります。
障害をもって生まれることは不幸なことなのでしょうか。
私たちは未だに、“あってはならない存在”ですか。
政府が「健康寿命」などという言葉を平然と使い、透析や胃ろう、人工呼吸器などを使って生きることを否定する風潮がますます強まっていることに強い危機感を感じざるをえません。
政府は、福祉支援の縦割りを解消するという美名のもと「我がごと・丸ごと政策」を断行しています。
この政策は、子ども・障害者・高齢者を一つにして、ボランティアの力をつかって支援するということですが、公的責任をへらし、自助・共助を頼り、手のかかるものや厄介者を一カ所にあつめる政策で、将来的に介護保険に統合しようとしています。
ボランティアの力は大切ですが、生活を保障するという観点から公助は初めにくるべきです。
日本には幸いなことに、骨格提言があります。
骨格提言、「障害者総合福祉法の骨格に関する総合福祉部会の提言」は2011年8月に、障害当事者と関係者55名がまとめたもので、人を線引きしない福祉施策をもとめています。
この文章では、障害者の自立した生活を必然なこととして捉え、公助として支援すると言っています。
“必死に死守するもの”から“あたりまえ”。
その行程が書かれているのです。
日本の現政権は、骨格提言を過去のものとし、同提言とは真逆の政策をとっています。
しかし今年、一縷の光がさしました。
今年の参議院議員選挙における、3名の国会議員が誕生です。
彼らは障害者の社会参加、それの前提となる人として生活する権利を強く訴え、それらに制限をかける法制や慣行を変えようとしています。
その実現には、全国各地で私たちひとり一人が声を出し、彼らのやろうとすることが喫緊の課題なのだということを社会に示す必要があるのです。
わたしたちは負けません。
「9条を守れ」という旗を強く振り、骨格提言を片手にもって、これをどのように実現していくかを強く訴え、提案し続けます。
そして、全国の障害者の仲間、高齢者、介助労働者、市民とともに闘います