10月11日(火)
現在、配布している内田ひろきニュース2022年合併号の記事を紹介します。
<<<政治闘争に決起して35年>>>
私、内田ひろきは高校1年生から政治闘争に決起し、今年で35年目を迎えました。
まだまだ未熟ですが、先輩方のアドバイスも頂戴しながら、未来を創る新しい市民運動と労働運動を模索してまいります。
❖第一次太田市政が発足して1年が経過❖
昨年の秋に第一次太田市政が発足した。
この太田市政を検証する。
太田市長はこの間、懸案となっていた市立病院の現地建て替えについて、今年度・2022年度病院事業会計当初予算案に、その基本計画のコンサル料を計上し、その後、基本設計と実施設計を行い、2025年度の現地建て替え工事着工を目指すと表明している。
また、2021年に突如として浮上した学校給食のセンター化構想を白紙とし、自校方式の堅持に向けた調査に着手した。
さらに、柏市役所周辺にコミュニティーバス路線の運行を計画している。
これらの点は高く評価できる。
一方、柏駅西口再開発・巨大タワーマンション構想を凍結しようとはしない。
この点は大問題である。
!★!今後の太田市政にどう臨むか!★!
国政が議院内閣制であるのに対し、地方政治は二元代表制であるので、誰が市長であっても議員は、市長に対しては緊張感をもち、批判精神をもって臨む必要がある。
私、内田ひろきは柏市議会唯一の急進左翼議員であっても、この1年間の太田市政では、賛成する政策は積極的に支持し、反対する政策には断固として批判し、反動的な議案には単独反対してきた。
この政治姿勢は、今後の太田市政でも堅持する。
△▼△これからの基本姿勢△▼△
これからは、東海第二原発の再稼働を阻止し、憲法9条と柏市平和都市宣言を未来へ繋ぎ、活かし、守る世論を大きくしたいものです。
私、内田ひろきは柏市政で具体的には、柏駅西口巨大タワーマンション構想(再開発)には反対し、緑地・農地の着実な保全を強く求め、市立病院の早期現地建て替えに協力します。
また、甲状腺エコー検査を含めた放射能対策を充実し、犬猫殺処分ゼロの堅持を働きかけ、公立夜間中学開設に向けて協議を進めます。
さらに、学校いじめ問題の解消に努め、学校給食の自校方式維持・拡充を支持します。
引き続き、コミュニティー交通の充実で交通不便地域を解消し、バリアフリーの地域づくりを実現します。
~■~太田市長に求めるもの~■~
1年前の柏市長選挙において、太田市長は、野党統一候補として当選した。
この原点を忘れる事なく、引き続き市長職を担ってもらいたいものである。
他の自治体でも見受けられるが、野党統一候補が市長に当選すると原点を忘れ、保守大会派になびいてしまう傾向がある。
そうならないよう、太田市長に対する監視機能を発揮しなければならないのである。そもそも、二元代表制である地方政治は、市長と議員を別々に選挙する。だからこそ、議員には行政に対するチェック機構としての役割が求められている。
■□◇福田村事件を考える■□◇
私、内田ひろきは16歳の時から福田村事件の問題に係わっている。
来年で福田村事件発生から100年が経過する。
福田村事件が発生してから80年目に当たる2003年には、野田市に追悼慰霊碑が建てられた。
1923年9月1日に関東大震災が発生した。
その5日後に当たる9月6日、福田村(野田市)と田中村(柏市)の自警団が、香川県から来た薬の行商人15人を暴行し、その内9人を虐殺した。
この福田村事件の背景には、朝鮮人差別、部落差別、行商に対する職業差別、不審者レッテルがあった。つまり、デマによる複合差別が引き起こした事件なのである。
事件の犯人8人は受刑したものの、大正天皇の死去によって恩赦・釈放となる。
釈放となった1人はその後、田中村長を勤め、合併後初の柏市議会議員となったのである。
また、福田村(野田市)と田中村(柏市)は人災であるこの事件の犠牲者・被害者に対し、行政として謝罪していないのである。
福田村事件はまだ終わっていないのだ。
9月決算議会における私、内田ひろきの福田村事件に関する質疑・一般質問を紹介します。
[問]
福田村事件の実態をどう把握しているのか。
[広報部長答弁]
平成12年刊行の柏市史近代編によると、大正12年9月1日の関東大震災発生から5日後の9月6日に現在の野田市である福田村において、香川県からの行商人一行の15人の内9人が地元自警団により殺害されると言う惨事があった。
その後、福田村及び現在の柏市である田中村の自警団計8人が逮捕された。
この事件は、当時各地で朝鮮人が放火や暴動を起こすと言った流言が流布され、人々の警戒心が高まっている中で、行商人一行の聞き慣れない方言により不審者と誤認された事が直接の原因とされている。
流言が起こった原因には、当時の朝鮮人に対する差別や偏見の他、第一次世界大戦やその後の戦後恐慌等による社会不安もあったと推察されるが、情報伝達の不備やデマによって引き起こされる集団行動が重大な結果に繋がる危険性を示唆しているものと考える。
また、さらに背景を振り返ると、当時の行商に対する職業的な差別やそもそも部落差別により行商で生計を立てる事を余儀なくされると言った社会状況など複合的な要因によって発生に至ってしまったものと考えられる。
しかし、いかなる理由があったとしても当該事件の結果は大変痛ましく、あってはならない事と認識している。
[問]
また、同事件を受けた市民への人権啓発の取組は何か。
[広報部長答弁]
現代社会においても残念ながら人権問題は依然として存在しており、社会の高度化と共により複雑化、広範化している。人権は人々の心の持ち方に関わる問題であり、市としても継続して取り組むことが重要と考えている。
当該事件の要因となった各種の人権問題に加え、現代社会に現れている課題について引き続き市民一人一人が人権問題の正しい理解と認識を深められるよう関係団体等と連携を図りながら啓発に努める。
✿私、内田ひろきの質疑・一般質問は、既にインターネットで録画配信となっています。
60分あってちょっと長いですが、是非ご視聴ください。
傍聴にお越しいただいた皆様、既にご視聴していただいた皆様、ありがとうございます。