5月29日(金)
現在、配布している内田ひろきニュース2015年夏季号の記事を紹介します。
実績をステップとして結果を出す2期目に挑戦***
今号では、柏市議会議員に就任して以降の4年間で、実現した主な政策を裏面に紹介します。内田ひろき柏コミューン宣言は、本紙7月号で発表します。柏市議会議員選挙は、8月9日が投票日となります。
・*・内田ひろき生きざま・*・
1971年生まれ(44歳)。生まれつき、左目だけがうっすらと見えていた。小学校に入り医師より、残された左目の視力も失ってしまうと宣告を受け、絶望の極致に追い込まれた。中学校に入り人生を悲観し、死を考え日々深夜徘徊を繰り返していた。
不登校だった為、学習に追いつけず「障害」を理由に教師が加担した激しいイジメもあり、学校を拒絶するようになった。中3になると受験で一部の友人も離れて行った。いよいよ孤独無縁になり、生きている事に絶望した。
中学までは親を恨み「障害」を悲観し、自分を傷つけて生きてきたが、高校に入学し、さまざまな「障害」をもつ仲間や外国人、被差別部落出身者など差別と抑圧を受け、同じ境遇を共にする友人達との出会いで価値観が変わった。チェルノブイリの翌年、16歳の時から反戦・反原発闘争や三里塚闘争、「障害」者解放運動や市民の生きる権利を守る闘いに目覚めた。20歳を過ぎ、残された視力を全て失った。その後も激しい闘争で、権力と激突する場面もあった。闘うか、従うかを迫られる権力支配に疑問を感じていた。こうした闘いの中で、社会の歪みを強く感じる青年時代を送っていた。差別や抑圧との闘い、視力が失われる事による危険な日々の生活環境。とりわけ、ホームから線路への転落や視力が失われる事で人々が去って行った経験など、語り尽くせない程の屈辱は今でも忘れられない。こうした体験から、心の傷みに気づく地方自治、心の傷みに気づく地域社会を作りたいと感じた。
15年間、病院でリハビリテーションの業務に従事。新東京病院、野田中央病院などに勤務した。脳卒中や骨折による後遺症を持つ高齢者から人生を学んだ。患者と労働者の権利を守る為、行政や病院の経営側と激しくぶつかる事もあった。仕事の傍ら、教育ボランティア活動にも参加した。同和教育に携わると共に、自らと同じ苦しみをこれからの若者達に負わせてはならないと言う思いに加え、戦中戦後の混乱期に義務教育を受けられなかった市民の基礎学力や外国人の日本語習得など、取り組むべき課題に気づき、自主夜間中学の運営に係わった。そこに学びにきたアスペルガー症候群の青年と係わり、母子家庭だったその母親と縁あって結婚した。
今の社会をみると地域コミュニティーの確立が重要だと感じる。政治の現場である地方自治は、アメリカ追随の新自由主義による戦争政策を進める国に対して、常に批判精神を持たなければならない。政府から一方的に押しつけられる地方創生ではなく、喜びと悲しみが分かち合える市民の団結が必要だ。財界と官僚に踊り遊ばれた腐敗政治を打倒し、市民の暮らし、雇用、福祉が守られる地方政治を実現したい。革新無所属の私、内田ひろきは政党や財界の顔色を窺う事なく、イデオロギーの違いを乗り越え、地域で暮らす人々の叫びを直接政治の場に反映し、革命の主体としての自治体・柏市政を建設したい。
・・・内田ひろき4年間の主な活動実績・・・
★アーバンパークライン柏駅の大宮ゆきと船橋ゆきホームに柵式ホームドアが完成しました。
★新柏駅(東口)から中心市街地を経由し、柏駅(東口)を結ぶバス路線ができました。
★ジャンボタクシー南増尾コースに増尾5・8丁目ルートを新設し、沼南コースの逆井駅(東口)までの乗り入れが実現しました。
★農地死守と財政再建の観点から、北部開発の一部区域を区画整理事業から除外しました。
★逆井駅踏切西側の歩道整備が完了し、県道51号線へ向かうY地路に信号機も完成しました。
★通学路でもある高田近隣センター前の道路に40キロの速度規制が設けられました。
★逆井中前の通学路拡幅と合わせ、手前の県道で、大型車の通行規制と迂回を周知する看板の掲示が完了しました。
★高柳駅のホームにエレベーターが完成し、橋上駅舎化の基盤となる東西自由通路の設計と第3駐輪場付近の踏切拡幅の測量が始まりました。
★北柏駅(南口)にエレベーターが完成し、北口陸橋の階段にエスカレーターを建設する事が決まりました。
★大津川左岸の雨水管整備が進み、増尾台・加賀地区の浸水被害が解消に向かいまた、大堀川右岸の豊四季・今谷上町・豊住地区の枝管整備に着手できる運びとなりました。
★広報かしわに誰でもが読みやすいと言われているUDフォント(ユニバーサルデザイン書体)を採用しました。
★柏市ホームページに英語、中国語、韓国語、スペイン語の自動翻訳と日本語による音声読み上げ機能を導入する事が決まりました。
★公的軽作業に従事する障害者を雇用して、民間企業に就職を促すチャレンジドオフィスかしわを行政組織として新設し、複数の障害者雇用を創出しました。
★福祉削減の道具ともなってしまった事業仕分けを廃止しました。
★放射能被曝から子どもを守る活動をしている市民と省庁交渉を重ね、国の特別交付税を財源に甲状腺エコー検査への助成開始が決まりました。
★動物愛護ふれあいセンターの新規建設に際しては、動物のアウシュヴィッツとも言われているガス殺処分場を廃止し、検査治療機材と医薬品の取得に予算を充てました。
★市立病院の現地建て替えを強く求め、まずは移転凍結となりました。
★化学物質アレルギー症状の引き金となる成分が含まれている芳香剤を公共施設から撤去し、業界団体にも呼びかけて殺虫剤の使用抑制が前進しました。
★男女共同参画の視点から、子育て中でも意思決定機関である審議会等に参加できるための保育が始まりました。