骨格提言の完全実現を求める大フォーラム

10月27日(金)
私たち抜きに私たちのことを決めるな!をスローガンに私、内田ひろきが所属する怒っているぞ!障害者きりすて!全国ネットワークが呼びかけ団体に加わり、骨格提言の完全実現を求める10・27大フォーラムを開催した。
日比谷野外音楽堂での集会後は厚生労働省前で、抗議のシュプレヒコールを上げた。

以下に集会アピールを抜粋。

「大人になったら、家族から独立し一市民としてくらしたい」。
これは、誰もが少なくても一度は思い描くことだと思います。しかし、しょうがいや病気があり、支援が必要な身になると、それが一気に難しくなり「何だかいけないこと」として感じてしまう。非常に恥ずかしいことに、それが今の日本社会です。
「市民としてくらしたい」を難しくさせているのは、しょうがいや病気のせいではありません。自分の必要な支援が、周りに十分に無いためです。
今日の集会では、公的支援を抑制しようとする国の動きや、多くの社会福祉の課題が語られました。昨年起きた津久井やまゆり園事件の大きな原因の一つは、しょうがいしゃを厄介者扱いにして一カ所に集め管理する、日本が長年とってきた国策にあります。しかし隔離施策の反省をせず、小規模化という名のもと、また入所施設を作ろうとしています。施設での虐待が後を絶ちませんが、通報対象に病院・学校・官公署が含まれていないという大きな問題を放置し、障害者虐待防止法の改正議論を進めようとしません。
しょうがいしゃが地域生活を送るのは、健常者に比べ簡単ではないです。津久井やまゆり園事件を機に、政府は何ら根拠も無いのにもかかわらず、措置入院をした人の生活を警察も含んだ会議体で支援していくのだとしています。精神しょうがいの人の生活支援を述べるならば、障害者総合支援法の活用と拡充で良いはずで、なぜ警察が出てくるのか。「支援という名前を借りた監視」は許されません。難病の人は支援を、病名によって制限されています。行政は、本人の生活よりも医学的なことを重視するのです。多くの自治体では地域生活のために必要な介護時間の上限を勝手に設け、国はその実態を容認しています。介護保険では、一人暮らしの人に欠かせない家事支援、生活援助を勝手に必要ないと決めつけ、国の事業から外そうとしています。
今日の集会でみえてきたのは、“財政難”というインチキ言葉を多用し、しょうがいや病名ごとで施策を分け、本人の自立した生活に向き合わない、生活の最も基盤となる生活保護を切り捨て、支援が必要ならばできるだけ地域住民のボランティアを使えと、国家が担うべき憲法第25条の責任を軽くしようとする国の姿勢です。障害者権利条約、骨格提言と相反するものです。
しょうがいや病気があると、家族から独立して市民生活を送るのは、そんなにだめなのでしょうか。「障害者自立支援法違憲訴訟団」と国との基本合意や骨格提言では、そのようなことは全く書かれていません。2つの文章では、公的支援を受けながら自立生活をすることは、権利として述べられています。先月の9月29日に行われた私たちと厚生労働省の意見交換で、厚労省の職員は、骨格提言を「これから読んでみます」とおっしゃったのですが、あれからきちんと読まれたのでしょうか。
私たち大フォーラムは、違憲訴訟団と国との基本合意に基づいて創られた「障害者総合福祉法の骨格に関する総合福祉部会の提言」の完全実現を求めています。この骨格提言は、ひとを線引きしない福祉政策を提言しており、しょうがい・病気があっても地域で十分に生活できる社会、優生思想がはいりこむよちがない社会を描いています。
私たち大フォーラムは、他の団体と連携し、「市民として生活したい」を深く追求し、強く訴え続けます。

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